「日本は絹産業以外には、固有の天然資源はほとんど何もない。日本は綿も羊毛も石油も、錫もゴムも、そのほか、実に多くの原料が欠如している。そして、それらすべて一切がアジアの海域には存在していた。もし、これらの原料の供給が断たれたら、日本国内で一千万人から一千二百万人の失業者が出ていただろう。従って、日本が戦争に突き進んでいった動機は、大部分が安全保障の必要性に迫られてのことだったのです。」
 これは1951年に開かれたアメリカの上院軍事外交合同委員会で、ダグラス・マッカーサーが語った言葉です。マッカーサーは終戦後、日本に進駐した連合国軍総司令部(GHQ)の最高司令官であり、東京極東裁判を指揮した人です。
 この人がアメリカに帰った後、上記のように「日本が戦争に突き進んだ目的は大部分が安全保障の必要性に迫られてのことだった」と語った事実はほとんど知られていません。
 戦前、世界の「経済ブロック化」の中で、日本に石油等の輸出を禁止した「米英支蘭」のABCD包囲網に対処して、「自存自衛」のために日本が戦争に突入したとマッカーサー自身が認めているのです。
 今年の衆院予算委員会でも、先の戦争は日本の侵略戦争だったと主張する野党の議員がいましたが、敵の大将であったマッカーサーがこのように証言していることを知らないのかと言いたい気持ちでした。いわゆる東京裁判史観といわれる、戦前の日本はすべて悪かった、暗黒の時代であったという教育を受けてきた人々が、今各界の要路にいます。私はこの呪縛・マインドコントロールから脱却する事がこれからの時代を生きる日本人にどうしても必要であると考えます。
 連合国の占領下において、戦争に勝った方が負けた方を一方的に裁くというおよそ国際法違反の東京裁判が行われ、多くの人々が断罪されました。そして占領中はGHQによって厳しい検閲が実施され、「戦争責任周知徹底計画」に基づき大東亜戦争が日本の「侵略戦争」であったことを日本国民に徹底的に刷り込みました。そして、東京空襲や原爆投下のようなGHQの不利になるような非難は記事にすることも口にすることも許されませんでした。昭和27年に日本が独立した後も、ソ連のコミンテルンの指令を受けた左翼陣営の影響力が強かった為、占領軍が隠した事実は公にならず、教科書でも教えられず、いわゆる自虐史観に基づく日教組主導の教育が長らく続いてきました。
 この間、中国・韓国からは歴史認識について執拗な非難が繰り返され、日本はその場しのぎの理不尽な謝罪をし続け、ますます相手につけ込まれる事態となっています。
 日本の近現代史が始まるのはペリーが鎖国中の日本に開国を求めて来航した1853年からといってよいでしょう。日本が長い鎖国の太平の夢から目覚めて明治維新を進めた当時は、世界はまさに列強による食うか食われるかの植民地争奪、帝国時代の真っ只中でした。その中にあって、不平等条約の改定やロシアの南下防止など、我々の先人達が日本の独立と平和を守る為にどれ程苦労し、血と汗を流してきたことでしょうか。
 確かに戦前の一時期、行き過ぎて近隣諸国に多大の損害と迷惑を掛けた事実は事実として、率直に謝罪しなければならないと考えます。しかし、欧米諸国の植民地主義はもっとひどいものでした。イギリスの大英博物館はほとんどがエジプトなどの植民地からの略奪品の山であり、創氏改名どころかフィリピンやインドは言語まで英語に変えさせられていますが、非難された事は寡聞にして知りません。何故日本だけがいつまでも謝罪を求め続けられるのでしょうか。その理由は我々日本人にあると思います。
 先の大戦、大東亜戦争(これもGHQにより太平洋戦争と改めさせられた)は日本民族にとって史上初の敗戦であり、大きなショックでした。それに続く独立までの日本弱体化をめざした連合国側の占領政策によって日本人は自信と誇りを失わされました。そして戦前をすべて悪とする、今日に至る60年間の戦後の自虐教育によって、日本人は自分達が悪かったという呪縛から抜けられず、さらに日本古来の良き伝統文化まで否定され、戦前と戦後に大きな断絶を生じています。私達の現在の生活は先人達の工夫と努力の上に成り立っており、その結晶を受け継いでこそさらに発展させられるものであります。今の日本は根無し草になっています。私達はこの日本列島に住み続けた先祖の営々とした営みに思いを馳せ、長い間築き上げてきた伝統や文化をもう一度今に甦らせるという「温故知新」の精神で日本再生を果さなければならないと考えます。
 
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