4月20日の衆議院教育再生特別委員会の模様を見られた方からのご意見 
(H19年4月)
平成19年4月20日の衆議院教育再生特別委員会の模様をNHKで見られた方(特に年配の方)からたくさんの手紙やメールをいただきました。その中からお一人、特にお許しをいただき、匿名で掲載させていただきました。
中山成彬先生
H19.4.25
謹啓 突然、拙書を差上げ、失礼の段悪しからずご容赦下さい。私は今年米寿を迎えた奄美大島出身者です。
 実は去る4月20日、衆議院教育再生特別委員会の模様をテレビで視聴しました。その中で、先生のご発言が当を得て初めて耳にして我が意を得た感にうたれました。
 私も昭和14年〜15年召集を受け、中支の南京手前の安義という街に駐屯していた部隊に約6ヶ月(病気で帰国)所属していました。
 そこには部隊が確か管理運営していた慰安所がありました。附近に駐屯している各種部隊から日時を決めて利用していたようです。
 或る日、戦友3名でその慰安所を見学に行ったことがありました。丁度その日は休養日であったので、関所の待合所(バラック建て)にいた2、3名の女の人に話をして帰りましたが、その時1人の韓国人らしい(日本語達者)人は次のように語っていたことを覚えています。
 自分の故里の家の隣にいた姉さんが日本の軍属募集に応募して戦地で働き、何時も送金があって、その家では立派な家や宅地を買って親兄弟が楽に生活していたことを目の前で見て、父母と話し合って私も応募してきた。戦地であり、心配もあったが来て見て、兵隊さんが昼夜守ってくれて、まだ銃弾の音も聞いたこともない。また決められた手当ての外に兵隊さんのチップも多く貰えるので、故郷に送金するのが楽しみである。故郷の友人たちにもすすめる文通をしている等、意外な話を聞いて帰ったことを覚えています。
 当時、現地での大隊長、中隊長はどの隊員に対する日常の訓示は、日本軍の名を汚す行動を絶対してはならん、慰安所ができているのもそのためであると毎日言われたこともあったことが今でも耳に残っています。
 半世紀を過ぎた今日、まだ昔の問題がむし返され、学校教育でも恥部がされけ出されてきた状態でありますが、これをよく知っているのは元軍人達と思います。この声をアンケート式でもよし、内容を生き証人達から集める等の方法も必要ではなかろうか、それも早くしなければ高齢者となって先がないのです。中、韓国からの抗議に対し、政府は毎回謝罪のみのようですが、もっと毅然とした対応ができないのか、歯がゆい気がしてなりません。
 日清、日露、満州、支那事変、大東亜戦争にしても、日本は島国で人口は増え続け、食糧の自給も出来ず、領土の拡充は当時の国是で、自衛のためやむを得なかったのではないかと思われる。他の国々も同じような歴史がある。特に日清、日露の戦争は露国の侵入を阻止したとの評価を外国から受けているなど古文献に書かれていることなど、政治家も歴史認識を深めて発言して貰いたいことを常に思っている者です。
 この度、先生がされたご発言で抗議する側も少しはひるむことでしょう。特に国内の革新派と称する派閥やマスコミの自虐的報道への釘もさされたものと存じます。
 今後ともお体にご注意なされてご活躍されるよう念願して止みません。
 余計なことを申し上げ失礼いたしました。
謹白
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